デザイナーズマンションによる賃貸経営・
トータルコンサルティングは、プリズミック

関係者の本音から、プリズミックのリアルを知る。 PRISMIC Voice

オーナーさまの本音owner

優れたデザイナーズだからこそ、
想像を超える独自な価値が生まれていく。

S様/kotorikuオーナー

プロジェクト紹介
デザイナーズ賃貸 kotoriku
所在地 東京都目黒区
設計 平田晃久建築設計事務所
構造・総戸数 RC造3階建て・12戸(自宅2戸)
竣工年 2014年4月
敷地面積 288.70㎡
延床面積 480.99㎡

起伏の多い住宅地のちょうど谷になっている地形に洞窟を掘って暮らすというイメージで建てられた集合住宅。建物の名前「kotoriku」は漢字で書くと「小鳥来」。昆虫や植物など自然と融合し、小鳥が集まる野生のままの建築になって欲しいと名付けました。2014年度グッドデザイン賞受賞。

画一的、前例主義ではないデザイナーズ建築を
つくれるパートナーを探していた。

この土地はもともと先祖代々住んできた場所で、「kotoriku」を建てる前も築50年を超える賃貸アパートがありました。母親が亡くなって建物を相続したことをきっかけに、建て直しや土地活用を検討するようになりました。
私自身、もともと不動産デベロッパーで米国担当として長く勤めていたこともあり、自分がオーナーになるなら、画一的、前例主義ではない独自な集合住宅を建てたいなと考えていました。
そんな中、仕事でお付き合いのあったオリジナル家具ブランドの方に紹介いただいたのがプリズミックでした。話を伺うと、30名を超える建築家との独自ネットワークがあり、また設計、施工のコンサルティングからリーシング、賃貸管理まで一貫して任せられるということで、とても魅力に感じた、そんな第一印象でした。

もはやアートというべき建築家の仕事を
最前列で楽しむ極上の時間。

今も大切に保管している模型。複雑な間取りが見てとれる プリズミックをパートナーに選ぶ決め手となったのは、建築家ネットワークの中に平田晃久建築設計事務所があったことです。平田さんは、後に史上最年少で第31回村野藤吾賞を受賞され、2024年4月に開業した東急プラザ原宿「ハラカド」の外装デザインも担当されていますが、当時から経歴も実績も申し分なく、建築そのものも魅力的で、ぜひこの人にお願いしたいと考えました。また、プリズミックのコンサルティングチームも、私が何か相談するたびに、意図を組んだ明瞭な回答を出してくれ、最後は「ここしかない」という強い意志で依頼しました。
初めて設計をご提案いただいた時の感動は今も覚えています。見たことのない間取りで、まさにアートだと感じました。一方でこの複雑な間取りを本当に再現できるかという不安もありましたが、デザインを軸に、設計、施工に至るまで親身に寄り添って事業を進めてくれるプリズミックのプロジェクトマネジメント力が素晴らしかった。毎月、最後は毎週のように設計施工会議が行われ、常に意見を聞いてくださる平田さんと共鳴しながら私もアイデアを出させてもらい、一流の仕事を最前線で見ながら、かつ建物づくりに参加していることも感じられる極上の時間でした。

賃貸10戸は10年間フル稼働。
優れたデザインだからこそ、数字がついてくる

プロジェクトの過程を撮影した写真も大切な思い出に 竣工後も値付け、リーシング、管理も一貫してプリズミックに依頼していて、それらの対応も見事の一言。各部門が連携して丁寧に対応してくれ、10年が経過した今も、プリズミックへの感謝の念はずっと続いています。
特に値付けやリーシングにおいて、デザイナーズで実績を積み重ねてきたプリズミックのデザイナーズ魂を感じました。この物件はどの部屋も直角がない間取りで、集客にリスクがあることは覚悟していましたが、蓋を開けてみれば、賃貸は10年間ほぼフル稼働。デザインを優先したからと値付けやリーシングで妥協するのではなく、逆にデザインが優れた建築だからこそと、プリズミックが事業性との両立を実現してくれたおかげです。また国内外の雑誌で紹介されたり、テレビドラマや自動車のプロモーションに使いたいと声がかかったりと、突き抜けたデザインを実現できたおかげで、今もなお独自の価値を生み出し続けています。 私自身、kotorikuを通して自分で工夫して住むことが仕事や遊びのイノベーションの源泉になったり、建物自体が街のアクセントになって多くの人に興味を持ってもらえたりと、デザイナーズ建築は、日本の文化的な豊かさに貢献できるパワーがあるということに改めて気付かされました。プリズミックにはぜひこれからもデザイナーズ魂を携え、新しく魅力的な建築をつくっていってもらえたらと思います。

記憶に残るEPISODE

kotorikuは当時高校生だった私の娘の成長にも影響を与えてくれました。
娘がコンテンポラリーダンサーであることを知ったチーム平田のテキスタイルデザイナーが舞台をイメージしたカーテンを用意してくれ 、今もその記憶とともに空間の中で生きています。また、写真や映像が好きだった娘は、kotirikuが出来上がる過程をずっと記録していました。すると、大学でも映像を学ぶようになり、卒業制作では、平田建築を題材にした映像作品をつくり上げました。kotirkuはもはや単なる集合住宅ではなく、建築と人とが育み合う関係を作り出してくれました。そして、これを実現できたのはまちがいなくプリズミックのおかげです。改めて、感謝の気持ちを伝えたいと思います。

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